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2010年 3月 17日

「インビクタス」とスプリングボック

(※この記事は旧ブログのものです。表示崩れ等ありますがご了承下さい。)

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ちょっと学校らしからぬ、しかもとても長いブログです。ご容赦を・・。

14日の日曜日、本校がパートナーシッププログラムに参加している国立科学博物館で開催中の「大哺乳類展」に行ってきました。すばらしい展示でしたが開催2日目の休日で小春日和の上野とあって会場は人があふれ、一時間も経たないうちに出て来てしまいました。写真は会場の様子ですが、中央の白い剥製は何だと思いますか。科博に来れば見られるはずと思っていた、南アフリカ共和国などに分布するレイヨウの一種、スプリングボックです。異様に白い個体でしたが、常設展示場には普通(?)の色合いの個体が、近縁のトムソンガゼルと並んで展示されています。
ガゼルと近縁ということは、あまりおいしくないということでしょうか? ケニアで食べた(合法です)ガゼルの肉は不味かった(ニホンジカよりはまし? → ニコル先生ごめんなさい)。

南アフリカ共和国には一度だけ行ったことがあり、治安の悪いヨハネスブルグを避け、ケープタウンを中心に滞在しましたが、野生動物はかろうじてボンテボック(ハーテビーストの仲間)を遠くに見かけた程度で、スプリングボックは見ることができませんでした。

南部アフリカには「ボック(bok)」と名の付く動物がたくさんいます。
東アフリカのオリックスはこの地ではゲムズボックですし、リーボック(Grey Rhebok)というやや地味な小型レイヨウもいて、こちらは良く知られた英国のスポーツ用品社のブランド名となっています。
Bokという言葉は南アフリカ共和国のアフリカーンス語(及びオランダ語)で「アンテロープ(レイヨウ)」あるいは「ヤギ」という意味だそうで、スポーツ用品社のブランド名はアフリカーンス語のスペルを使っているようです。

一方英語の「buck(“オスジカ”の意)」という言葉が付く動物もアフリカにはたくさん生息します。
ウォーターバック、リードバック、ブッシュバックなどで、それぞれ“水辺のシカ”、“ヨシ原のシカ”、“ヤブ地のシカ”というような意味になるでしょうか。勿論アフリカにはシカの仲間は基本的に分布しませんから、いずれもレイヨウ、ウシの仲間です。

スプリングボックというのは読んで字の如し、“プロンキング”と呼ばれる風変わりなジャンプで知られていて、最近NHKのカラカル(中型ネコ)を取り上げた自然番組に少しだけ登場し、“飛び跳ね”ていました。プロンキングというのもアフリカーンス語から転じた言葉で、“見せびらかし”、“自慢”といったような意味があるそうです。
ザンビアの国立公園に勤務していた頃、インパラがワイルドドッグ(リカオン)から逃げ出そうとするときにこのプロンキングをするところを見ました。「一目散に逃げ出せばいいものを何でわざわざ」と不思議に思ったことを覚えています。ワイルドドッグの狩りの成功率は非常に高く、リレーでどこまでも追いかけていきますから、一度狙いを定められた獲物が助かるチャンスは少なく、それでこのような、一見相手をからかうようなジャンプをして見せ、“こんなに体力の有る私を追いかけても無駄、苦労しますよ”というサインを送っているのではないかと思います。プロンキングというのは、まさに適切な命名といえるのではないでしょうか。

                * * * * * * *

と・こ・ろ・で(閑話休題):現在“スプリングボック”が主役の映画が上映中です。とは言っても動物映画ではなく、正しくは南アフリカ共和国のラグビー代表チーム“スプリングボクス”とマンデラ大統領の、1995年ラグビーワールドカップにまつわる話です。

昨年末から上映されていた「沈まぬ太陽」はケニアのマサイマラでロケと聞いていたので、警戒して見に行きませんでした。マラの大平原がスクリーンいっぱいに映し出されたら、その瞬間、美しさと、懐かしさと、その場にいない悲しさで号泣するであろうことは明白だったからです。こちらの映画「インビクタス -負けざるものたち-」はアフリカとはいえ南アフリカが舞台だしと思い、のこのこ出かけてしまいました。“あれ!もう終わり?”というくらい平易な映画ではありましたが、その素晴らしさに2回も見に行く羽目となり、散々泣かされてしまいました。

「沈まぬ太陽」は日本アカデミー賞の作品賞やら主演男優賞を獲得したようですが、「インビクタス」の方は本家のアカデミー賞にはかすりもしませんでした(主演・助演男優賞にノミネートはされていたようですが)。賞などでは汲み取ることのできない清冽な秀作ということでしょうか。

そもそもは予告編でみたマット・デイモン扮するスプリングボクス主将ピナールが、
(おそらくは大統領本人からの)電話を受け;
  I’ve been invited to tea. 「お茶に呼ばれた」
  Who?  「誰に?」
  President!  「大統領!」
というシーンにいたく魅かれたことが始まりでした。このあたり、6年間に渡って関わったケニアの国立公園野生生物担当組織「ケニア野生生物公社」創設(1990年)の頃の初代ボス(長官:白人)と当時の大統領との様々な逸話を思い起こさせるもので、映画の中でもこのお茶の場面には注目していました。ざっくばらんに語りかけるモーガン・フリーマン扮するマンデラ大統領、これに対しラガーマンらしい実直さで、最高度の敬意を表しながら、次第に話に引き込まれていくピナールのやり取りを、固唾を呑んで見守りました。

細部にわたって計算された場面を淡々と積み上げながらまったく間延びせずに展開
する物語は見事でしたし、スラムの朝焼け、息を呑むケープタウンの空撮、道端で肉を焼くお兄さん、大統領執務室の雰囲気や秘書の女性たちの立ち居振る舞いまで、映画はどこからどこまでも“アフリカ”でした。この人は日常でもこんなもたつく英語を話しているのかと疑わせるほどリアルなモーガン・フリーマンのアフリカ英語の発音とセンテンス、そしてなによりも、殆ど暴力も血も見せず、説明的なセリフもナレーションもなく、あの凄惨なアパルトヘイト時代をこれでもかと言うくらい繰り返し見事に描いていたことに感動しました。映画冒頭の就任演説から涙・涙で、観客の入りが芳しくなくて館内が空いていたのが助かりました。

条件反射というのは恐ろしいもので、入れ込みすぎてスタジアムに南アフリカの国歌が流れる場面では、思わず立ち上がりそうになりました。ご存知の方も多いと思いますが南アフリカの国歌の冒頭部分はザンビア、タンザニア(かってはジンバブウェも)の国歌と原曲(“神よ、アフリカに祝福を”)が同じでメロディーが一緒です。私がザンビアの国立公園局職員としてザンビア国歌を直立不動で聞いていた頃は、まだアパルトヘイト時代で、いくつもの南部アフリカ諸国が南アフリカと戦争状態にありました。パスポートに南アフリカの入国印があるとザンビアに入れてもらえないという話もあり、南アフリカの入国審査官は記録が残らないようパスポートサイズの小さな紙に入国印を押し、パスポートに挟み込んでくれるということも聞きました。映画「遠い夜明け」の中でもこの曲は流れ、そのときも涙しましたが、いわば反アパルトヘイト、反南アフリカの象徴であったこの曲が、今は南アフリカの国歌となっているわけで、確実に時代は変わったことを改めて感じました。

ザンビアにいた当時は、「そうはいっても白人を追い出した後、すべての組織に蔓延するこの腐敗、非効率、縁故主義、独裁をどうするのか」などという思いもありましたが、今この映画を見れば、アパルトヘイトが間違いなく人類に対する犯罪であったことが判ります。声高に言い立てる事もせず、執拗に映しこむ事もなく、逆にその後の融和と再出発を描いているからこそ、そのことが浮き彫りになっていると思います。

それにしても、27年間の収監生活を“9,000 days of destiny” と言える志の高さに、どのような言葉で口を開けばいいのでしょう?

家族や友人にも、珍しく勧めてはみましたが、見に行こうという人は少なそうですので、明日上映期間が終わる前に、一人でもう一度見に行こうと思います。                  (S)

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